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【リモートワーク病み】在宅勤務はなぜ病みやすいのか?そして評価を得るにはやっぱり出社が良い

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この記事を要約すると…
  • 満員電車に乗るなど、生きる上で多くの人と同じ行動をとっているだけで生きる上で助けになることが多い。少数派だと不思議と不安になりがち
  • 会社内での何気ない雑談は、存在価値を見出したりする上で実はすごく役にやっていた。逆にそれがないことで存在意義が見出せなくなりがち
  • 人間は太陽を浴びたらセロトニンという幸せホルモンが分泌するような性質を持つから太陽を浴びないとだめ。
  • 評価という面でも、人は見える位置にいた方が評価されやすいから出社の割合が多い方が得

「テレワークは大歓迎なのに、なぜか病み気味…」「人と関わる機会がないからか不安に感じることが多い」

こんな悩みを持ちながら在宅勤務をしていませんか?最初でこそ歓迎されたテレワーク(リモート勤務)ですが、それが標準となり始めたことで弊害になることも多く、在宅禁止にしている企業も少なくありません。

また在宅にしたことによるスタッフの健康状態も弊害の1つとなっています。本来、会社の人間関係や満員電車からも解放されてノンストレスになるはずが、リモート勤務が続くことでなぜか気分が晴れないと。

この記事に辿り着いてくれた方は自覚を持っているがゆえにたどり着いてくれたと思うのですが、ずっと家で仕事をするというのも実はかなりしんどいものです。

そんな在宅勤務でなぜか病み気味になってしまう理由や、リモート勤務からフル出社への切り替わりを経験した筆者だからこそ語れるおすすめの働き方を紹介していきます。

目次

社会との繋がりの喪失

社会との繋がりで得られる社会的存在意義が欠落することによって、人は悩みやすくなります。

例えば、朝の満員電車に乗ることを考えてみましょう。電車自体はストレスですが、多くの人と同じ行動をとることで大衆と同じ行動をとっていることになります。これは、生きる上での多数派でいられるという点で、意外にも私たちを助けていることが多いのです。

存在価値のようなものが何となく見出せるのです。毎日満員電車に乗るとストレスを感じますが、たまに乗らないと逆に何かストレスが解消されるような感覚を得やすいです。しかし、毎日リモートワークが続くと、電車に乗らないことに対して何も感じなくなってしまいます。

むしろ知らないうちに大衆から外れてしまっていること、少数派になっていることに対して目に見えたストレスにはなっている可能性だってあります。社会的存在価値のようなものを見出せなくなり、社会全体との繋がりが薄れて辛くなるのです。

満員電車に乗ったり朝同じような時間に外を歩いたりすることに対して社会的存在価値みたいなのを見出して、社会全体との繋がりを自然と無意識のうちに感じているのです。

会社内での存在価値の不安

会社に行かないリモートワークでは、人との直接的なコミュニケーションが減ります。ウェブミーティングやチャットツールを使って常にやり取りをしているつもりでも、テキストのみのやり取りやオンラインミーティングでは、相手の表情や雰囲気、現場の空気感などを感じ取りにくくなります。

対人スキルや協調性といったものは、実際に会うことで養われたり維持されたりします。会わないと、相手のパーソナルな部分が見えづらくなり、お互いのリスペクトは失われないまでも、相手の理解が浅くなってしまうことがあります。

在宅リモート勤務で家で仕事をしていると、同僚と雑談をする時間もなくなります。家で働いているから息抜きできるはずなのに、息抜きできていない感覚に陥る人が多いのです。喫煙所での会話や社交辞令的な質問一つとっても、会社内での自分の存在価値を示したり悩みを共感したりすることで、生きている実感を持てていました。

具体的な雑談の例:
– 「最近どう?」という何気ない質問
– 「〇〇さんが全然働いてくれなくて」という愚痴
– 「△△部長がすごい怖くて理不尽で」という共感
– 「最近こういうプロジェクト実は任せられるようになって」という成長の共有

これらの何気ない会話が、実は会社内での自分の存在価値を確認し、悩みを共感し合う重要な機会となっていたのです。

質問・相談のハードル上昇

在宅で仕事をしていると、質問がしづらくなります。今までは隣の席の人に気軽に質問できましたし、エレベーターで一緒になったタイミングや昼休みから戻ってきたタイミングなど、15秒や30秒で終わるような質問を気軽にできました。

しかし、チャットツールを使うと、どんなに重要な質問も、どんなにくだらない質問も1通という単位になります。今まで質問や雑談の中で聞けていたようなことが聞けなくなり、すぐ解決できた問題がすぐ解決できなくなってしまいます。これが積み重なることで、ストレスになっていきます。

チャットや電話で質問すれば済む話だと思いがちですが、相手が今忙しいのではないかという気遣いが働きます。一緒の環境にいれば、相手が昼休みから戻ってきたばかりか、打ち合わせから戻ってきたばかりかなど、相手の状況がわかるので雑談もしやすかったのです。

人間関係の希薄化

リモートワークでは、仲間の存在を実感しにくくなります。家にいると、会社の中で「この人だけは仲間だ」と思える人や、「なんだかんだ賛同してくれる」と思える人が近くにいません。SNSやオンライン上での繋がりも大切ですが、実際に会うことによる繋がりも重要です。

特に同僚や仲間は元々よく会っていた人たちなので、急に会わなくなると関係が切れるわけではありませんが、何となく救われていた部分が失われます。何気ない一言や存在が見えているだけで助かっていた部分があるのです。リモートワークになって会う機会が減ると、仲が悪くなるわけではありませんが、そういう存在が見えないだけで、ストレス発散の場所や安心感を得られる場所を失ってしまいます。

職場における多様な人間関係の喪失

リモートワークにより、職場での多様な人間関係が失われます。

– 優しい上司の存在を間近で感じられなくなる
– 気を遣える後輩が目の前にいなくなる
– 同期の存在も感じにくくなる
– 異性で何となくちょっと生意気な人の存在など、多様な関係性が失われる

これらの存在があるだけでも、会社に行く意義がありました。その人と話せたからよかったとか、逆に部長に怒られてしまったとか、そういった細かい「ゲーム」のようなイベントが発生しにくくなります。人と会わないとイベントは発生しづらいのです。

こういった人生における「ゲーム」感覚で何か怒られてしまった、これを改善するためにどうしようと考えることは、意外にも生きる意義だったり、生きている実感というものになりやすいのです。それを実際にやっている最中は「生きている実感を感じているぞ」なんて思わないものですが、意外にもそういうストレスがあるからこそ、病んだりせずに済んでいたり、敵が目の前にいることによって自分に対して「自分はダメだ」「自分はダメだ」と思わずに済んでいたりすることがあるのです。

「あいつを倒してやろう」と思うことによって、自分はダメだと思わずに済んだりすることがあるので、ストレスが自分に向かうのではなく体外に向かっていて、これがある意味目標となって生きる活力に実はなっていたりするということも多いのです。

身体的な影響

リモートワークでずっと家にいると、外に出社する人に比べて太陽を浴びる機会が少なくなりがちです。人間もある意味動物です。人間は時計を見て時間単位で行動していますが、動物は太陽が昇っているか沈んでいるかといったことをタイマーとして生活をしています。人間も動物なので、太陽を浴びることによって起きて活動しようという1日のリズムが体に与えられるわけです。

精神的に悪影響を与える理由の一つとして、セロトニンの分泌不足が関係しています。これは科学的にも証明されていることが多くあり、太陽の光には以下のような化学的メリットがあります。

  1. セロトニンの分泌促進:「幸福ホルモン」とも呼ばれ、ストレス軽減や気分の安定に役立つ
  2. ビタミンDの生成:骨の健康や免疫力の強化につながる
  3. 体内時計の調整:睡眠の質を向上させ、疲労感や倦怠感を軽減する

リモートワークだと家にずっといることによって、仕事と休息の切り替えが難しくなります。家が仕事場になることで、リラックスする場所がなくなり、精神的なストレスが蓄積されやすくなるのです。

筆者の実体験:パンデミック時のリモートワーク

筆者もリモートワークをパンデミックの時に経験しました。ほぼ毎日のように在宅勤務が半ば強制のような形で行われました。確か、そのときにはすごく「わー、すごい!リモートワーク最高だ!」というような形で最初のうちは働いていました。

しかし、どんどん働いていくうちに、上司が何を求めているのかとか、今何をやってほしいのかとか、自分がやるべきことは何だろうということに悩み始めたのです。これは、会社にいたら上司に何となく「これなんですかね?」と、本当に一緒にお昼ご飯を食べに行ったときなどに何となく質問して、「これやっていけますよ」「あれやっていきますよ」とどんどん仕事ができていったものです。

上司から頼まれたことがある意味その日や短期間の「いつまでに何をやる」という目標になっていたので、何も気にせず「わかりました、わかりました。これでやったらいいと思うんですけどどうですかね?やります」というような形で、どんどん短期間でタスクが積み重なっていました。

しかし、そういう何か細かい会話のようなものが、一緒にお昼ご飯を食べに行かなくなったり、ミーティングの5分前に会議室に着いてミーティングが始まる前にちょっと雑談したりするようなことがなくなったことによって、「何をやればいいんだっけ?」とか「何を求められているんだろう?」ということが全然わからなくなってしまいました。

それによって、別に上司が筆者のことを悪く思っているわけでは全くないのですが、自分自身が「なぜか自分は必要とされていないんじゃないか」などと、勝手に内向的になってしまって悩んでしまうようなことがすごくありました。

出社とリモートワークのバランス

そのため、在宅ワークが100%悪いとは全く思わないのですが、やはり週に1回2回、できればちょっと出社の方が多いぐらいのバランスの方が仕事をしていく上ではスムーズなのではないかと感じています。

出社すべきかしないべきかというのはいろいろなところで議論に上がるのですが、可能であれば出社は絶対にした方がいいと筆者は思っています。これは他の記事でも書いていることなので多くは語りませんが、やはり人間、目の前で仕事している人とリモートで仕事をしている人で同じパフォーマンスを出していたら、おそらく何となく目の前で見えるところで仕事をしている人の方が何となく働いているだろう、働いているという判断がしやすいものなのです。

これが同じパフォーマンスだとしても、おそらく目に見えている人の方が何となく頑張っていたという印象になりやすいと思います。これはもう、仕事は結果なのですが、印象というところは結構大事で、やはり見えるもののほうがわかりやすいのです。

野球選手の例え:可視性の重要性

これは本当に例え話に過ぎないのですが、野球に例えると、高校野球ですごく活躍していた選手がプロ野球に入る場合と、高校野球ですごく活躍していた選手と大学野球で活躍してプロに入った2人の選手がいるとします。おそらくですが、多くの人が高校野球で活躍していた選手の方を応援する人が多いと思うのです。

これはなぜかというと、高校野球というのは常に甲子園などがテレビで放送されていて、夜にダイジェストの番組があったりとか、世間でも話題になることが多いので、目に触れやすいところにあるスポーツなのです。ただ、大学の野球というのはなかなかテレビで放送されていなかったりするので、見ようと思えば見ますが、向こうから勝手に目に触れる機会が少ないのです。

そうなると、同じような活躍をしていても、大学よりも高校時代に活躍していた選手の方が何となくなじみがあるし、何となく応援したいという気持ちになって、プロ野球選手になったときに応援する人が多くなるのです。

これと同じように、やはり人間は目に見えているものだったり、その姿を見ている方の方が何か応援したいという気持ちが芽生えるような生き物なのです。そういった意味で、ずっと家で仕事しているよりも、ちゃんと会社に出てきて、上司だったり評価者の目の前で仕事の過程までを見せている人の方が評価されやすいのだったら、出社した方がいいのではないかと筆者は思っています。

基本は出社くらいがちょうどいい

ここまで、なぜ病むのか?なんて話しから、筆者の実体験を記載していきましたがいかがだったでしょうか?

前の章でも触れていますが、やっぱり見えている人の方が評価はされやすいし、朝から太陽を浴びて出社をして人と対面で関わりが持てることは、仕事というよりは生きる上でのメリットが大きいです。

なので、会社に行けるなら極力行った方がいい!というのが筆者が経験を通して言えることです。

ただ、顔も見たくないほど嫌いな人がいる、会社の空気を吸うだけで吐き気がする…なんて人は、もちろん在宅をしてくださいね。健康が第一ですから、会社で在宅勤務が可能なら1つでもストレスを減らせる在宅を選ぶ形でまったく問題ありません。

この記事を訪れた1人でも多くの方が、今自分がリモート勤務をすることで病んでしまっている理由を自覚し、出社機会を増やしつつ上司の評価が上がれば筆者冥利につきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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