- 会社員は全員、採用の時点で他人と比較されている。その比較があった上で入社しているという事実を認識すべき
- 他人との比較がない環境はきつい。他人と比べるのは良くない!とくじ引きで昇給や昇進が決まったら会社はどうなってしまうのか?を考えよう
- 上司や同僚が、他人と比較してくること自体は全くパワハラではない
- 比較されることに対して強い抵抗がある人は、競争がない職種や環境を選ぶべき
「他人と比較ばっかされて辛い」「もっと個を尊重してほしい」
こんなことを思いながら仕事をしていませんか?他人と自分の差を比較されるのは、どうも受け入れ難かったり、差が大きいと認識がある場合はどうも比較されること自体を否定したくなりますよね…。
ただ、結論から言うと、物事は競争の上で成り立っている。職場で人と比較されるのは当たり前だし、比較された上で入った会社ということを忘れてはいけない。
これに尽きます。
せっかく見にきてくれたにも関わらず厳しい意見で恐縮ですが、競争がない職場に行かない限り、人と比べらるような競争はずっと続きます。上司のパワハラではなく、そういったものなのです。
今日は、そんな他人と比べられる職場についての考え方を筆者の体験談を交えつつ記載をしていきます。
他人と比べられた上で入った会社
会社で他人と比べられることについて、まず重要な認識として押さえておくべき点があります。それは、私たちの多くが”他人と比べられた上で入った会社で働いている”という事実です。
就職活動や転職活動において、企業があなた一人だけを見て採用を決定することはまずありません。新卒募集の場合多くの応募者の中から面接を行い会社での活躍が期待できる人材を選考していきます。その過程で候補者同士が比較され採用が決定されているのです。
転職の場合も同様です。企業は求める経験やスキルの条件を提示し、転職エージェントや転職サイトを通じて応募を受け付けます。現在では誰もが気軽に応募できる環境が整っているため、企業には数多くの履歴書やデータが送られてきます。
人事担当者はそれらを見比べ、「面接をしてみたい候補者」と「基準に満たない候補者」を選別します。面接後も、「職場に合う人材か」という観点で比較検討が行われます。
つまり、現在の職場で働き毎月給与を得られている状況は、他者との比較を経て得られた結果なのです。それにもかかわらず入社後に「他人と比べないでください」「他人と比べるのはパワハラです」という主張をすることは、論理的に矛盾しています。
あなたが今の位置にいられるのは、比較の結果その職場に相応しいと評価されたからです。もし比較を完全に否定するのであれば、競争のない仕事を選ぶかその会社を去る選択肢を考える必要があるでしょう。
資本主義社会はどうしても競争を切り離せない
これは企業に限った話ではありません。日本や多くの先進国は資本主義経済の下で成り立っており、比較や競争は日常的に存在します。
国単位だと少々例えが大きいので日常の例を出しますが、野菜を購入する際も価格を比較しますし、家賃も立地や設備を比較した上で選択します。恋愛においても、相手の外見や性格を比較検討した上で判断することは自然な行為です。
したがって、職場で自分の成果が思わしくない場合や、他者と比較されて指摘を受けた際に、「私は私なので他人と比べないでください」と主張するのは適切ではありません。
これは現実の社会システムや、自身が今の職場に入った経緯を考えると建設的な態度とは言えないでしょう。
会社が個を重視し過ぎると成り立たなくなる
職場で他人と比べられることを否定し個人の主張ばかりが重視されすぎるとどうなるのでしょうか?その答えは単純で、会社が成り立たなくなってしまうのです。
例えば、人事評価や昇進の場面を考えてみましょう。誰を管理職にするか?誰を部長や課長のポジションに置くか?これらの判断は必然的に人と人との比較が必要になります。
もし「人と比べるのはよくない」という理由で、くじ引きでポジションを決めるようなことになれば、会社は機能しなくなってしまいます。
これは当然の話です。仕事の成果も出せず必要なスキルも持っていない人が、単に「個人の主張」を理由に上司の立場に立ってしまったら、組織は正常に機能しません。他人との比較を否定することは、まさにこういった状況を招きかねないのです。
だからこそ、職場で他人と比べられることは当然のことであり、会社員である以上個人の主張よりも組織の優先順位が上になることは避けられません。
人と比べることはパワハラになるのか?
職場で人と比べられること自体は、パワハラには該当しません。ただし、比較を伴う行為がパワハラとなるケースについては明確に理解しておく必要があります。
まず、明らかなパワハラとなるのは、
- 他人との比較を理由に暴力を振るわれる
- 目に見える嫌がらせを受けたりするケース(過度のノルマを課されたり、残業を強要されたりするなど)
など、誰が見ても明らかにパワハラと判断できる行為も該当します。これらは「人と比べられる」という問題以前に、明確なパワハラ行為として認識される問題です。
一方で、「他人と比べられて精神的な苦痛を感じた」という理由でパワハラを主張するケースについては、慎重な判断が必要です。確かに、個人の精神的苦痛をパワハラの判断基準とする考え方もありますが、これには一定の限界があります。
例えば、「このタスクを3時間で完了してください」という指示に対する受け止め方は、人によって大きく異なります。
- 他人に指示されること自体に強い苦痛を感じる人
- 「3時間も余裕がある」と前向きに捉える人
- 「ギリギリかもしれないが挑戦してみよう」と前向きに捉える人
人それぞです。
同様に、他人との比較に対する受け止め方も人それぞれです。
- 「なぜ他人と比べるのか」と否定的に捉える人
- 「Aさんのように働けばいいのだと具体的な目標を示してくれた」と建設的に受け止める人
このように、物事の捉え方や苦痛を感じる基準は個人差が大きいため、精神的な苦痛があるというだけですべてのケースをパワハラと判断することはできません。この点を正しく認識することが、職場での人間関係を健全に保つ上で重要です。
精神的苦痛の論点【筆者の実体験】
職場でのパワハラの判断が難しい事例として、筆者の会社で実際にあった出来事をお話しします。これは年齢の異なる女性同士の対立で、若い方(Bさん)が年上の方(Aさん)からパワハラを受けたと主張して退職したケースです。
Bさんは会社や労働組合にもパワハラを訴えましたが、最終的に認められませんでした。
この事例で重要なのは、Aさんは実際には通常のパワハラと認識される行為(怒鳴る、暴力を振るう、嫌がらせをするなど)は一切していなかったという点です。Aさんが行っていたのは、Bさんの業務上のミスに対する適切な指摘でした。
特にBさんは経理の仕事を担当しており、業務内容は取引先への支払いや金額の管理などミスが許されない重要な職務でした。金銭に関わるミスは会社に重大な影響を及ぼす可能性があるため、Aさんは必要な指導を行っていたのです。
周囲の評価ではAさんは当たりが良く、仕事もきちんとこなす尊敬される人物でした。周囲からしたらパワハラと思われるような言動は見受けられず、むしろ適切な業務指導を行っていたと認識されていました。
しかし、Bさんの受け止め方は異なりました。BさんはAさんが自分にだけ厳しく接していると感じ、それを嫌がらせやパワハラだと捉えたのです。これは同じ状況でも、受け取る側の感じ方や捉え方が大きく異なることを示す典型的な例と言えます。
この事例から学べることは、個人が精神的な苦痛を感じたというだけでは必ずしもパワハラとは認定されないということです。もしそうなれば、あらゆる職場での指導や指摘がパワハラとされかねません。
また、パワハラを法的に証明することは容易ではありません。訴訟を起こす場合、弁護士費用など相当の経済的負担が発生します。そのため明確な証拠がない限り立証は困難を極めます。
なんでもかんでもパワハラだ!精神的な苦痛を感じている時点で読者はパワハラの被害者だ!なんて情報ばかり出てきますが、悩んでいる人に対しては聞こえが良く聞こえて読んでもらえる(あるいは弁護士などは相談をもらえてお客獲得ができる)など肯定的なものばかりですが実際は違います。
適切な指導や指摘に対してパワハラだと主張することは本人の評価を下げることにもなりかねません。このような状況に遭遇した際は冷静に状況を判断し、本当にパワハラなのか?それとも業務上必要な指導なのか?を冷静に見極めることが重要です。
比較されない環境選びが重要
これまで、職場で他人と比べられることは当然のことであり、それ自体はパワハラに該当しないという話をしてきました。
しかし、競争を好まない人や個人の尊重を重視したい人がいることも事実です。そのような価値観や考え方を持つこと自体は決して否定されるべきではありません。むしろ、自分の希望や方向性をはっきりと認識できていることは素晴らしいことだと言えます。
このような場合、重要なのは「他人と比べられない環境を自ら選択する」という積極的な行動です。
例えば、同僚との競争を避けたい場合、会社員という選択肢にこだわる必要はありません。個人事業主として活動したり業務委託という形で仕事を請け負ったりする方法もあります。
また、数字での評価や競争があまり発生しないバックオフィス業務や受付業務など、比較的競争の少ない職種を選ぶという選択肢もあります。現在の環境で無理に耐え続けるよりも、自分に合った環境を積極的に探し、選択していくことが長期的には望ましい解決策となるでしょう。
この記事を見た1人でも多くの方の、他人と比較されることに対する考え方を見直すきっかけになれば筆者冥利に尽きます。最後まで読んでいただきありがとございました!